本が出来るまで3 幕間

昨年10月末、出版甲子園でグランプリをいただき、よし、これから忙しくなるぞと思っていたわけですが、そうでもなかったんですねぇ。
私の企画には12社からオファーをいただきました。本来ならそれぞれの出版社さんをサクサクまわって、版元を決めてお願いして、完成原稿(元のテキスト)もあることだし、できれば4月くらいには出したかったところでした。参考書という性質上、学年が変わる時期はねらい目ですし、私も就活が忙しくなる前に書き上げたかったので。
しかし、まず甲子園がまごつきました。史上初のイベントを成功させた、まではよかったのですが、じゃぁ終わった後どうする、というのがつめきれてなかったようで、版元の決め方などなど、指示が錯綜しました。私は甲子園のスタッフではなかったので、何がどうなっているのかよくわからず、随分歯がゆい思いもしました。
そういった事情で間延びしてしまったのと、各出版社さんもお忙しいのとで、打ち合わせの日程がなかなか組めなかったり、連絡そのものがうまく取れなかったりしました。で、ずるずるのびれば時は年末、尚更お忙しいという悪循環。
かくいう自分自身、私事で気の滅入る話が続き、やることなすことうまくいかず、しかもぼちぼち就活シーズンに入り「将来のこともそろそろちゃんと考えなあかんな」という時期。人間不信気味で、実はかなり荒んでいました。いくつか取材を受けた時も、就活の時も、「本だします!」とアピールしながら、本人が半信半疑という有様。
結局、実際に回ったのは6社でした。第一線で活躍されている方とお話しするのは、とても有意義で、楽しかったです。皆さん本当によくしていただきました。でも、実際にお仕事できるのは1社だけ。そのことはとても心苦しくありました。せめて早くお返事したかったのですが、各社足並みをそろえようとするとズルズルと時がたち、多くの方にご迷惑がかかりました。
正直なところ、11月から翌2月にかけては、本当につらかった。
動き出したいっ、のに、許されない、どうすればいいのかわからない、かみあわないちぐはぐな状況、といったところでしょうか。個人の力ではどうにもならないことがあるんだな、ということが、よーく分かりました。いい経験でしたが、「いい経験」でくくれない何かがある時期です。
まるでかみ合わなかった歯車が、ほとんど何の前ぶれもなく急速に回り始めるのは、2006年2月。以降は、ただただジェットコースターな日々なのですが……それはまた別の話。